家族の面会


(入隊してから終戦後までは)一度も家には帰っとらん。

父親が二回くらい来てくれたろう。
母親が最後に軍刀をもってきてくれた。


兄貴が。高知へおるけい、二度ほど来てくれた。汽車はないけど、バスに乗ってのう。

立花橋があるところに1週間ほど泊まってのう。
それと椿神社があるへん、そこにもおったことがある。


賀山にワシと同級生になるんが(興譲館の)商業に行っとった。
お寺のいちばん西の方に。左○ゆうてな。

これが15期で(松山に)来たんじゃ。何回も受きょうたけど「次もすべった」とかようた。親父は西江原じゃあなく、井原でも有名な豪傑じゃった。そのひとり息子でな。

その親が、「やっぱり息子にゃ会わにゃぁならん。」ゆうて何遍もきてくれた。
「たけさん、コレを親父からあずかったきた。」と持ってきて呉りょうた。

つるし柿やこ持ってきてくりょうた、その頃は戦争中でそんなもんしかないわな。


長兄の証言


2003年3月20日 2003年8月13日