一次試験「たけ、お前の成績では予科練にとおらん。」

一次試験は正月を明けてすぐじゃった。(昭和19年1月)正月の4日か5日じゃった。

その当時の賀山の家族は。

姉二人は既に嫁に行っていた。

山口の兄(次兄)は東京の師範に行っとった。東京の板橋におった。(賀山には住んでいなかった)
賀山のが(長兄)が結婚したばっかりじゃって・・・・、兄貴は高知へおったんじゃ。今の高知大学の付属の女学校の先生をしていたんじゃが、昭和18年の暮れ、確か12月29日か30日じゃった思うが結婚してココ(賀山へ)おった。

試験を受ける時にゃ、だから家に居たのは父・母、新婚の兄貴夫婦、それに祖母のトノばあさんが住んでいた。


試験の朝
あの頃のことじゃけい七日市の駅へ出るのに真っ暗な朝に家をでるんじゃ。
そしたら暗い門の前に兄貴が立っとった。

「たけ、お前のように遊ぶばぁしょうるのが・・・予科練の試験にとおるもんか。
遊ぶばぁしょうて、なんが予科練にとおりょうか。」




兄貴はそれからすぐ高知へ行った(戻った)。


一次試験は倉商(倉敷商業)であった。一泊した。
学科試験が2日あった。




とうた(合格)のが2割くらいのもんじゃたろうか?それくらいいたしかった。
程度が高かった、試験も難しかった。


長兄

現在・井原市西江原町賀山

次兄

昨年2002年4月逝去・笠岡市山口

追記・長兄の証言(その朝のこと)



2003年3月17日 ・追記2003年8月13日