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「五族協和」と「王道楽土」の大嘘


満州国建国の理想は「王道楽土」。
王道とは正義・自愛・寛容をもって統治するする中国の古来哲学。

誰のための王道楽土か?


五族協和とは漢・満・日・蒙・鮮の五族。

人口5000万人、うち日本人250万人。事実上既に漢人の人口構成の国家であった満州に、五族というのははじめから無理もあった。



そういう無理・矛盾が敗戦後いちどに現実になっている。

そのことは叔母の話のなかだけでも充分理解できる。
敗戦後のことは叔母自身が納得している。と、解釈した。




「満州人というのは500万いないんです。」

古海総務庁次長(=事実上の首相)

「昭和史探訪」より

叔母の話の中で

①精神・気持ちの上で満州国五族のうち、日本人が優位性をもっていた事実は全編にある。
②満州国でありながら、その通貨をまったく使っていない。これは何を意味するのか?財政・金融はその制度を当時の日本の優秀な官僚が確立させたことは本に書いてある。
叔母の時代は建国10周年後、制度は運用されていたはずなのだが。


思うこと

漢人が人口の9割近くを占め、その面では中国人のいいぶんも良く理解できる。(勝手に日本人が来て、支配する・・・そういう事と反日感情)
だが当時の日本にとっても歴史上の満州のいきさつからみて否定できない、「肯定」できるいいぶんも多々ある。
侵略したのは事実と思うが、行き過ぎが多かったのだろうな。その事は台湾占領とくらべればよくわかる。



それにしても

このページ作成のためいくらかの資料を読んだが、当時の新聞の日本軍部への「ヨイショ」の記事が多いことには憤慨あきれる。
新聞社にも事情があったのはわかるが、あきらかに行き過ぎの記事で埋められている。
地方記事に至るまで「皇国のため」「聖戦のため」「鬼畜米英奴のため」、その極端な一般人と出来事を新聞ではやしたてている。結論は全て「天皇のため」「勝利のため」犠牲を極めるというパターンである。
両親に聞く話にも、当時の国民が「喜んで皇国」にという意識はない。一番戦争を好んだのは新聞社ではなかったのか、とも思える記事で占められている。今、新聞社は違うことを言っているけど。



2002年5月1日