もんぺ@中国新聞「戦時の制服・おしゃれの自由なかった」
戦時中、なかば強制されたもので今も便利に使われているもの
それが「もんぺ」。
もんぺは古くなった和服をズボンに仕立て直すもの。
足首はしぼる。胴回りはゆったり。
古着を活用するので『節約』。
ゆったりしているので『活動的』。
厚生省は「もんぺ普及運動」を行い、婦人会などを通じて宣伝された。
そのため田舎以外にも普及した。
空襲が始まると、着用は義務づけられた。
以後、もんぺは農家の主婦の普段着として現在まで着用されている。
それ以前、和服から洋服への橋渡しという大きな役割もあった。
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今日の中国新聞に表題の記事が一ページ載っている。
当時の実態とはかけ離れたように感じたので、資料として書き残しておく。
後日、調査後管理人記事のもんぺAを書きたいと思う。
すべて「被害」意識で語る中国新聞は、戦後70年を経て、いっそうあやうい感じがする。

以下は中国新聞記事(2015.2.12)より。
太平洋戦争中、女性の衣料の定番は「もんぺ」でした。
物資を節約し、国民の心を束ねる狙いもあったでしょう。
昭和17年頃から女子学生はそれまでの制服のスカートをもんぺにはき替えて登校したそうです。
機能的で動かしやすかったのは確かでしょう。
でもそれは自由を制限された戦時の「制服」でした。
当時は多くの場合、すべて手縫いで母親が一人で作っていたと聞きました(中3女子生徒)
安田女子大講師談・昭和17年厚生省の公示でもんぺ着用が促され、お仕着せだった。
戦意高揚の「決戦服」とも呼ばれ、内心はカッコ悪い、着たくないと思っても周囲から異端の目で見られる。自由が制限された時代の制服でした。
ファッション学校校長談・(原爆投下時・女学校4年)救護を手伝いましたが誰が誰だかわかりません。
役だったのがもんぺでした。腰の名札の住所氏名が判断材料になりました。
まさかこんな感じでもんぺが・・・涙が出る悲しい思い出です。
2015年02月12日 | 昭和16年〜19年