女(おなご)は貧乏の種



2015年07月22日 | 暮らし
このページは「美星町史」より転記する、女性の地位は備中地方の各市町村とも似たり寄ったりと思える。管理人の母や祖母や曾祖母も、ここに書かれた女であった。



(美星町史)

男の子は宝物と言ってよろこび、女の子は貧乏の種、三人もいれば家が傾くと言ってきらわれ者。「読み・書き・ソロバン」を習わすより糸つむぎやハタ織りを教えた。
嫁入りのしつけとして、冬もコタツには入れず、ひざをくずすことも許されず、7〜8才の頃から針を持ったり、白巻きをつくったり、草履つくり、なわないなどをしていた。

食事に就いては、最近までかなり差別があって「女は冷や飯食い」と呼ばれ、炊き立てのご飯は食べられず、何時も釜ざらえ、おひつざらえ。
麦の多いところが嫁の分、ごちそうは女の口には入らなかった。
適齢期を迎えると、親の命ずるままに見知らぬ人に嫁し、婚家では「手間をもらった」「飯炊きがきた」と言われ、牛馬の如くこぎ使われて、十分な食量も与えられず遠慮のし通しで過ごす。
衣類は一生着られるほど用意して嫁ぎ、身の回り品・化粧品は何十年も買えなかった。

嫁いだ女の苦しみの中に「妊娠と出産」がある。「つわり」は「バチアタリ」で良くない女の受ける神仏のとがめとされた。
病気になれば我慢に我慢を重ね、精神力でおさえることが女の美徳とされた。