突撃一番


学研「帝国陸軍戦場の衣食住」より転記。



陸軍の構成員は若い男子で、性欲の処理は大きな問題であった。
平時には遊興施設、戦地では慰安所で対応していた。
ところが、性行為という快楽の代償として、性病という招かれざる弊害がつきまとった。
軍隊内では戦闘や戦病以外の病気であることから「三等症」という呼び名であった。
「梅毒」は不治の病として世界的に猛威を振るっていた。
数代にわたって毒性が遺伝するため、人的資材保護の見地からも性病の防止は避けて通れない重大な問題であった。

軍指定の施設や慰安所では妓娼の定期検診を行っていたが、登録していない「私娼」の数も圧倒的に多かった。
具体的な例ではシベリア出兵で2万人の梅毒患者を出した。

日本陸軍ではコンドームを性の防護器材として「衛生サック」「サック」と呼んでいた。
大正期になると外出者全員にコンドームの携帯を義務付け、コンドームを利用しない行為を厳禁した。
軍に納入されるコンドームには「突撃一番」という名称がつけられ、一つずつ紙袋のパッケージに納められていた。

昭和12年の支那事変以降、兵力の拡大とともに慰安施設の規模も増大し、性病感染も多発した。





軍自慰器材
温めた「こんにゃく」を女陰部に見立てて使用する。
市井では「ダッチワイフ」が販売されていた。精巧なものには人肌と同様の温もりを持たせるものを存在している。

空閨兵器
大東亜戦争下では出征将校の夫人性欲処理と、戦死した将校夫人の背徳行為の予防のため陸軍軍医学校では女性用の「張型」を試作している。
この張型は男性器を模してスポンジで製造されたもので、「空閨兵器」と呼ばれていたと伝えられる。





2016年12月30日 | 昭和11年~15年