神仏分離A寺の廃絶
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「神仏分離と倉敷」より転記
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寺の廃絶
全国で最も多くの寺院が取壊されたのは宮崎県です。末寺を加えると一千とされます。
伊勢地方では196ヶ寺が廃寺となりました。
伊勢神宮があるため、天皇の伊勢参拝のとき、不浄な寺が目に入るのを嫌ってのこととされます。
仏像、仏具の廃棄
仏像、仏具、仏画を焼くか二束三文で売り飛ばすことでした。
奈良の興福寺五重塔は焼かれるところでしたが、その火が町に延焼するから中止されました。
仏像仏具は持っていると罪になるとして、誰も買わず外国人が信じられない安さで買っていきました。
京都の四条大橋
明治7年に竣工しました。これは京都の寺院の
仏具を再利用して完成しました。
僧侶への弾圧
明治3年、玉島の清瀧寺が羽黒神社を分離させられ、住職が還俗されられました。
国東半島にある富貴寺では僧侶を皆殺しにして埋めました。
新たに選ばれた「神」
神話に出て来る人物や天皇、功臣を「神」として、それ以外を非としたのです。
全国で現在祀られている神社の祭神は、そのほとんどは明治初年に替えられてしまっています。
明治末期の合祀令
経費節減等で全国で約七万社の神社が合祀か廃止されたということです。
人々が勝手に神仏を祀ることを禁じたのです。
神仏分離・廃仏毀釈の程度は地域差がある。
徹底的に行われた地域は、鹿児島、宮崎、水戸、佐渡、富山、信州などで、皇統や神話と関係ある各地。
皇統=神を汚すものとして「仏」や寺を潰そうとした。
維新の変革までは、鎮守の圧倒的多数は神仏混淆であった。
おおおよその村鎮守には(神職がいなく)、僧侶や修験者(山伏)が別当職として勤務し、日常の管理を村役人や百姓中がおこなっていた。
神という範囲は広く神仏は区分が困難でした。
鳥居があるのが「神社」であるのは明治になってから。
現在神道の様式として神社で行われている祭祀方法、しきたり、作法は殆どすべてが陰陽道のそれを借りたものです。
2017年04月02日 | 明治