茂平の祭り


荒神さんの店

親からのこずかいをもらってあめダメを買うのが楽しみじゃった。



茂平の御神燈

銅山はどこどこ、ゆうて茂平中灯をつけることになっとる。
晩にお宮に参(めえ)る人のために。
八幡様のお祭りに参るために道を明るうしとります、参ってください。ゆうことで付けとる。
主な通りにつけとる。ローソク一本でヒラで分かれて灯をつきょうた。



しめ縄

当番が編む。
銅山なら、みんなでてやりょうた。
大けえから、
藁をたくってあわせて
左官のときさんや、まあさんが指導してくりょうた。
したことがねえ人はわからん。
はずして裏を見て、(あたらしのができたら)焼きょうた。


10月第一日曜

茂平の祭りは10月1日からに変わった。(城見はなぜ同一の日に統一しなかったのか?)

(強いて言えば)大≠ニ用之江は親類関係が少ない。
茂平と用之江、茂平と大≠ヘ親類関係が多い。
ひてぃ(一日)になったら、お互いにこれまあ。


談・2003.10.5




御船を海に

(祭りの神輿を海に浮かべることはあったのか?)

あった。
西ノ谷が当番の時、波止から飛び込んで海の中をとおて苫無の松原まで行った。
帰りしなは上の道(土手)を歩いて戻った。
土手を守ってもらう意味で通る。
新川(を通るの)もそうじゃ。


八幡さんの土俵

(祭り等で相撲を取るのをみたことがないが?)

つかようならんだが、子供相撲で物をやりょうたりしたこともある。


父の話・2003.8.31



神楽

4年に一回、戦前からそうじゃ。

お祭りの当番

当番の家が狭ぇ家じゃったら大きい家に替わってくれぇようた。
それで集会所でするようになった。

談・2000.5.6





(茂平の祭り)


御船を海に浮べる。西ん谷の山本が波止の端から飛び込んで.
浜から苫無の松原まで、下の海を行きょうた。帰りしなは上の道(土手)を通りょうた。

御船を海に浮かばすゆうことはなかった。
神輿は土手を守ってもらうゆう意味で通りょうた。
新川もそうじゃ。

神楽が無い年は、芝居やこしょうた。
婦人会や青年団や老人会がやりょうた。
すりゃあめんどくさい、それでせんようになった。

御神灯は主な通りにつくりょうた。銅山はどこどこまでと決まっとんじゃ。
前の晩にお宮に参るんで、少しでも道を明るくするゆうんでつけ取る。
各平(カクヒラ)で分かれてつくりょうた。


談・2003・10・4





子供の祭り

5銭から10銭ほど小遣をもらようた。
鉄砲玉や飴玉を買うて食ようた。
何ばあ買えんが、自分で買えるゆう気持ちのもんじゃ。
お粗末なもんでも買うて喜びょうた。
親が子供に小遣を出すゆうのは他に(祭り以外)なかった。


談・2000.10.30



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