「イナ取り」はいったいいつ頃から始まったのか?
ワシの子供の頃にゃもうやりょうた。(昭和ひとけた、または大正には)
やりかたは変わった。
(主催者が変わった)最初のうちは土地をもっとったひとがやっとった。(主催していた)
そのうちの一人に責任持ってやらしょうた。
途中から消防団が(主催)するようになった。
消防がして(その利益を)消防のものを買うようにしだした。
そうしとれば公に使うんでもめまぁが。
そりゃぁ、ワシが消防におる時からしだした。
(昭和20年代の時期と思える・作者)
2002年5月3日
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(作者記)
いな取りは茂平の子供にとって夏休み後の最大の娯楽であった。
いな取りに来る人にとってもこの季節の楽しみである。
内海はポンプ場から海に水を吐き出し普段よりいくらか水深を浅くする。・・・水深は20cm〜50cmくらいか・・・。
竹篭を自転車や自動二輪車につんで茂平に来る。(車社会の前)。茂平の1週間後が野の浜。(で、その後が引野か?吉浜?・・・そうでないとほかに使いようの無い籠を持たない。)
9月の第一日曜日、茂平の土手は見物と参加者であふれる。
消防団は制服すがたで見回りする。
(この行事は茂平消防団が主催で、茂平消防団の懐に入る貴重な行事でもあった。)
土手には婦人会が模擬店を出す。そこでラムネなどを買う。
いちばんの見所はヨーイ・ドンで一斉に内海に入っていくときである。
2時間前後で参加者は思い思いに終了していた。
堤防の向かい側の外海(ソトウミ)で汚れを落とし、たり、泳いだり(およいで落とす)していた。
2000年06月17日
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