「兄貴は中学でてどこへいったんだったかな?」「名門・高松農業高校へ行きました。」
えいちゃんの兄は茂平の家から大門駅へ行き、そこから庭瀬駅まで汽車通学。
庭瀬からまた自転車で備中高松にある高校へかよっていた。
冬の朝の母は弁当つくりからたいへんだった、ご飯はクドで炊いていた時代。上記の汽車はもちろん蒸気機関車。
その年。
笠岡工業高校ができた、笠岡で4番目の高等学校。
全国的には高等専門学校、高専ができた。すさまじいばかりの工業高校のいきおいであった。
とびきり優秀なのがいちばん近い明石高専へ行く、その二年後えいちゃんの同級生が第一期津山高専となる。そういう時代。
笠岡市内でいえば。工業高校のいきおいは2年間でおさまった、あれはなんだったんだろう?
高度成長での大学への進学者がが増える、それだけの要因ではない。異常なまでの工高ブームであった。