すぐわかるのが「松健」さん、なぜならえいちゃんチを建てたのは松健。
あの当時といえば、笠岡西中が富士山のように聳えていた。
金浦中学はすべて二番手、勉強もスポーツもすべてが西中に負けていた。
だが、次の東中・大島・新吉などとくらべるとすべて勝っていた。
校名は「金浦中」で、「金浦小」「城見小」「陶山小」から集まる。このうち名前を取っている「金浦小」がやはり巾をきかす。
「城見」と「陶山」と併せたよりも「金浦」の人が多かった。
「干しイチジクの茂平」から行くえいちゃんたちはちいさくなっていた。
時代は変わりに変わる。10年程前新校舎ができた。
もはや「金浦」中学の呼び名は代表名ではなくなっていた。
どうして校名を変えなかったんだろう?