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こんなに綺麗な元美人が酒をついでくれました。えいちゃんを見て「お父さんによく似てるね。」



「私も金浦中よ、第二回卒業なの。」
そうかぁ。




えいちゃんの祖父は神辺の竹田から茂平に養子にきて100歳で死んだ。
祖父の言葉で覚えているのは「しんちゅう」「かつどう」「げっきゅうとり」。
金浦中学のことを中学とはいわなかった。「新中」

ついでに言えば「かつどう」とは活動写真、映画のことをそう言っていた。
「げっきゅうとり」とは、「百姓はつまらん、サラリーマンになれ。」

えいちゃんが高校へ行くのも、大学へ行くのも。それは「サラリーマン」になるため。
祖父だけではない、父も母も・・・村の人もそれを言っていた。

話は長くなるが。
「百姓がえかったのは戦後の食べ物もなんにもない時。あとはえかったことがない。」
僕が高校のころ母はそう言っていた。戦後1〜2年に限り「百性であってよかった。」あとはダメ。



僕たちが高校の時の出来事といえば。
高1の時の「東京オリンピック」
高3の時の「ビートルズ来日」かな、おおきいいのは。



学校のなかではいろいろあったな。
高2の修学旅行で九州に行った人は「事件」もあった。




高校入学した時、建物はすべて木造。
卒業する時は鉄筋の校舎にかわっていた。
木造の時は衝撃的なまでにひどいトイレだったが、鉄筋の建物になると水洗になった。

「この7人のうちではえいちゃんがいちばん元気みたいだなぁ。」
(うん、自分でもそう思う。返事はしないけど)



   

2003年1月5日